有名アート作品に見られるギャンブルの影響とは?
有史以来、アートとメディアは常に、社会と文化を表現してきました。音楽、絵画、演劇は、流行や生活様式の変化、外国からのアイディアの導入などに影響を受け、変化し続けてきました。そして、「ギャンブル」と「カジノ」という言葉は、まったく新しくはありませんが、変化を促す重要な要因となっています。
芸術家たちがあえてギャンブルゲームを題材として選んだ理由を考えたことはありますか?この記事では、賭け事が、なぜ、そしてどのように、アート作品へ影響を及ぼしたのかを見ていきます。
文章を視覚化するために進化したギャンブルアート
実際のところ、紀元前3000年の古文書から、20世紀の小説や印刷物まで、世界中の様々な物語や文学が「ギャンブル」をテーマに描いてきました。ギャンブルゲームの仕組みやルールは、国や地域によって僅かに異なり、それは言葉によってのみ伝えられてきたのです。
そして、動きのあるメディアや芸術の出現により、中世の観客は、誰もが読むことができるわけではなかった文章の”図像化”を求めました。ギャンブルは過度な遊びであり、違法だとしてしばしば非難の対象となったにも関わらず、メディアは古い書物に記されたギャンブルの描写へと乗り出しました。
記録を残したがった富裕層ギャンブラー
ギャンブルは、大金が賭けられることから、お金持ち向けの遊ぶだと思われることが多いです。かつては、有名なギャンブラーといえば、社会階級の富裕層に属する人たちでした。
多くの芸術家や作家は、難しいプレイの瞬間や大きな決断が必要とされるギャンブルシーンを描くことに注力してきました。富裕層と権力者の名声が世界に広まるにつれ、彼らのギャンブル運も広がっていったのです。
大衆の関心を集める演劇
画家や脚本家は、需要のある作品を生み出すために、大衆の関心を集めるものを常に追及していきます。17世紀以降、ギャンブルと賭け事は、最も人気のある収入源かつ娯楽となり、芸術家たちにインスピレーションを与えてきました。
エドヴァルド・ムンクの『モンテカルロのルーレットテーブル』や、ポール・セザンヌの『カード遊びをする人々』などの有名な絵画は、作者がギャンブルの盛んな町の宿に宿泊した際に制作されたそうです。また、テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』やニール・サイモンの『おかしな二人』などの戯曲は、当時広まっていたギャンブルの様子を描いています。
競争手段として人気のあったギャンブル
ギャンブルゲームは、その種類の多さ、勝つためのテクニックの難しさ、難易度の高さから、当然、激しい競争のための手段として最も頻繁に選ばれました。ルールやベット方法は、地域によって多少異なったため、他の地域・国出身者との対戦により大きな魅力を感じる人は多くいました。
多くの有名なイベントやスポーツトーナメントでは、カードを使ったギャンブルやスポーツベッティングが行われ、世界中からの注目を瞬く間に集めるようになりました。現在では、熱狂的に流行るトレンドや時事問題は、アートの重要なインスピレーションの源となっており、芸術家たちは時間を無駄にすることなく、ひとつひとつの瞬間を切り取り、絵に表現しています。
地方にあるカジノは、地元の文化や生活様式を喧伝し、多くの観光客を呼び寄せています。アートと演劇は、世界中の人々に影響を与える手段としての人気が高まるにつれて、宣伝のために、ギャンブルなどの人気のテーマにより依存するようになっているのでしょう。